カテゴリ:わたしの野性を呼び覚ます( 3 )

わたしという感性。

わたしという感性は、みがいたのではなく、わたしが生まれたときから、感覚で感じていたもの。五感で、感じてきた歴史がつまって、私の感性になっている。研ぎ澄ましたり、ゆたかにしたりしなくても、わたしは、まぎれもなく感じている。生きていることは呼吸をして感じていることだから。
ゆるぎないものが、私の感性。
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by tanemakibito | 2011-05-04 22:21 | わたしの野性を呼び覚ます

3・11のあとの暮らしかた

フクシマげんぱつの事故。春が来て嬉しいはずなのに、かなしい。チェルノブイリのとき、8000キロもはなれているにっぽんのお母さんのおっぱいからセシウム137が検出された。このときおっぱいをあげていたわたしは、ひとごとではなかった。だから、げんぱつ反対のあつまりにでかけ、伊方ゲンパツの出力調整実験の反対集会にも、高松へでかけた。署名もした。だけど、ゲンパツはなくならなかった。そして、地震と津波がゲンパツをおそう。
わたしたちは、3・11以降、母なる地球のかわるとき。わたしたち人間はもうひとつの生きかた、くらしかたをじょじょにかえなくちゃならない。種をまこう。木を植えよう。果樹をそだてよう。たべものをつくろう。ちいさなエネルギーで暮らそう。自然エネルギーにシフトしよう。クリーンなエネルギーの自給をこころみよう。いまここからいのちのものさしを。
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by tanemakibito | 2011-05-01 01:18 | わたしの野性を呼び覚ます

ヤノマミなわたし

アマゾンの奥深く、ジャングルで暮らす、地球のうえの最後の石器人といわれる、ヤノマミ族。
わたしは、最近、いつも何かを感じたり、考えたりするとき、ヤノマミ族になりながら、
思うのである。同じ人間でありながら、文明のなかにいきるわたし。わたしのなかにも、縄文人の遺伝子があるのなら、栗をたべたり、里芋をたべたりしながら、わたしの野性をできるだけ、呼び覚まそうと思うのである。
わたしの野性の感覚が、どこかで、うずうずしている。買う暮らしは、文明だと。
木から、もいでたべるのと、買ってたべるのとは、おいしさも、栄養も違うような気がするのだ。
口中でほおばりながら。うまいうまいといいながら。この感覚はなんだろう。
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by tanemakibito | 2010-10-29 21:17 | わたしの野性を呼び覚ます