カテゴリ:わたしの、木と根。( 3 )

わたしの、木と根。ーわたしのであったひとびと。

わたしが、1本の、きだとしたら、どのように、ねっこを、はやし、えだを、のばしてきたのだろうか。うまれて、これから、どこへいこうと、しているのだろうか。かんじるままに、ここまで、やってきて、ふと、たちどまると、わたしは、きになって、いた。
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by tanemakibito | 2007-05-20 01:25 | わたしの、木と根。

種まきびとー田島征三さん

征三さんに、あったのは、いつだったのだろう。たしか、20歳のころ。
征三さんが、館野さんの支援のための、版画を、つくっていたころだ。
米軍機の、墜落で、息子さんを、なくされた、館野さんの、「家族」という版画を、わたしは、買った。
名古屋の、メルヘンハウスという、絵本やさんの、ギャラリーで。
そのころ、征三さんは、東京都の、日の出村というところで、種まきびとだったのだ。
征三さんの、絵本「ふきまんぶく」や、「やぎのしずか」の暮らしから、
わたしの、土や、畑への、あこがれはやってきたような気がする。
わたしの、だいすきな、1さつは、「ほら、いしころが、おちたよね、わすれようよ。」
作風を、がらりと、かえて、つくりつつ”ける、いきかたを、まち”かで、みることが、
できたのは、わたしの、いまに、どんな、根っこを、つくったのだろうか。
工房地球号の、小原村の、やまの、工房で、おこなわれた、征三さんのワークショップで、わたしは、描くからだになると、いうことを、まなんだ。それは、いまの、わたしの、ものつくりの根っこになった。
そして、いちばん、さいしょに、てにとったのは、
「しばてん」
征三さんの、生き方は、いまも、しばてんそのものだと、おもう。
わたしが、いま、征三さんの、「絵のなかの村」のような、高知のむらに暮らして
いるのは、きっと、征三さんに、出会ったからだろう。
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by tanemakibito | 2007-05-19 01:17 | わたしの、木と根。

ポチャナータイ人の、ともだち。

ポチャナは、ながいかみを、うしろに、くくっていた。
せが、たかくて、ポルトガル人の、血が、1/4はいっていると、いっていた。よく、タマサート大学の、ぼだいじゅの、おおきな、木のしたで、まちあわせをした。
その木を、わたしたちは、ポチャナの木と、よんでいる。
しごとは、ものかき。タオイズム、ソローや、インテ”ィアンの本、ティック・ナット・ハン、クリシュナムルティーの本の訳。
わたしと、てっぺい、象平と、ワッサンと、ポチャナで、サメット島へ、泊まりにいったのは、20年まえのことだっけ。わたしたちは、ポチャナから、戦争はんたーいと、こわだかに、たたかうことでは、なく、おだやかな、こころに、みんなが、なったら、平和になると、おしえられたのです。
バンコクの、ポチャナのうち。まちのなかなのに、木が、いっぱい。
高床の、ふるい木のおうちは、いまは、ない。
そこに、とめてもらったときのことは、いまも、ゆめにでてくる。
友部正人さんたちも、とまったそう。
すばらしい、タイのおうち。
いまも、タイへ、ゆくのは、ポチャナに、あいにゆくためだ。
おだやかな、こころになる、瞑想のように、ポチャナに、あいにゆく。
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by tanemakibito | 2007-05-11 01:37 | わたしの、木と根。